「仲が良い」ってなんだろう?

「仲が良い」ってなんだろう?と、疑問に思うことがある。

一般的には、「共有済みの前提条件が増えていって、会話をショートカットできる」ことを「仲が良い」と呼べそうだ。理解はしている。

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だけど、長く付き合っている友人、会社で働いている同僚、毎日連絡を取っている恋人、それぞれ「仲の良さ」は異なっているはずなのに、すべてが同じ距離に思える瞬間がある。

この人は仲良し、この人はそうじゃない、という区別がうまくつけられず、初めて会う人にも、100回会った人にも、同じ心持ちで接してしまう日がある。

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昔にマッチングアプリを利用していた頃、「初対面でこんなに仲良くなったのは初めて」と言っていただいたことが何度かあった。

理由はなんとなく推察できる。当時の私は早押しクイズにハマっていて、生活する上ではまったく必要ない豆知識を大量に蓄えていた。知識を元に相手のデータを適切に引き出すと、相手は私のことを「共通の話題がたくさんある人」「いろんな話ができる人」と認識してくれる。

だけど、これを「仲良くなった」と呼ぶのは変だろう。もともと互いの持っていたデータベースに一致する部分が多かっただけ、というのが正しそうだ。

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つまり、最初に話していた「共有済みの前提条件が増えていって、会話をショートカットできる」という定義について、要となるのは「増えていって」の部分かも。

長い時間を共有して、いろいろな出来事を一緒に経験して、共通の語彙を増やしていく。その過程こそが「仲良くなる」の本質?

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こんなことを考えるから、人との距離感を見失うのかもしれない。自然な距離で、自然なコミュニケーションを取っていきたいな。