綺麗事を言う

ライターの小野民さんが、自身の仕事を「人の話を聞きながら、その人のよいところを見つけて、うまく言葉にして差し出すという作業」と言っていて、あ、これは黄金律だ。と思った。

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どんな仕事にも通じることで、あえて「仕事」の領域に限る必要もない。「よいところを見つけて、差し出す」を守れたら、人は人を幸せにできる。何の持ち物が無くとも実現可能な、元手の要らない価値創造。

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いや、嘘をついた。「よいところ」を見つける目の精度だったり、「差し出す」手段の質、相手と自分の関係性とか、本当は考慮すべき「元手」の値がいろいろある。そして、いろいろなことを考えだすと途端に現実的な話になる。

自分が他者に提供できる「差し出す」は何だろう。どの「差し出す」を極めたら、私は、私の創造する価値を最大化できるんだろう。

自己啓発めいたしょうもない論へと展開しそうになる。そもそも「幸せ=価値」は自明ではないし、人間に価値創造の義務も無い。

得をしないことは損ではないし、幸福でないことは不幸ではない。

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生きることは自分にかかった余計な呪いをひとつひとつ解いていく過程。そう思っているはずなのに、気が付くと不要な呪いを新たにインストールしている。

完全を体現できなくても、理想は忘れずにいたい。綺麗事が好きだ。